ずっと真夜中

真夜中のラブレター現象

ARASHI BLAST in Miyagi 備忘録。

今更ってわかった上で今更な記事を書きます。

アルバム発売まではセーフってことにしよう...?

 

(当時)ハタチの大学生。松本担。1人行動は割と、かなり平気。

BLAST後半2日間参戦。2泊3日1人旅。

 

 

【1日目】

お昼過ぎ着の新幹線で仙台入り。改札出たら日立のフラッグにお出迎えされてちょっと泣きそうになる。仙台駅でチケット交換してホテルに荷物預けて、シャトルバス乗り場へ。仙台って思ってたより都会。シャトルバスに乗る度に思ったのは、観光バスって2席ずつになってるから順番に乗り込んで順番に座ると私の隣が空く。次に1人の方が来るまで空く。悪い事してるわけじゃないのにすごく申し訳ない気持ちになりました(豆腐メンタル)

会場に着く。暑い。この日はWゲートから入場だったので歩く。めっちゃ歩く。坂道。暑い。時間が時間だったのでただ流されて歩いてたら着きました。お友達に会いに行ったりもしたけど、東京ドームでいう「22ゲート」は「ひとめぼれスタジアム文字下」なんだね...?おたくの適応能力すごい。これからは「ひとめぼれスタジアム文字下」だよ!!まあもう行く事ないと思うけど!!!

入場、着席。天を仰いでちょっと泣いた(ぼっち)。いやこれ本当に周りにいた人で気付いてた人がいたらマジ気持ちわるかったと思うしごめんなさいなんだけど、やっと辿り着いた気がしたの。高校生までの地元にいた頃は遠征出来なくて国立なんて行けたものじゃなかったし、応募出来るようになってからもご縁はなくて、そうしてる内に最後の国立なんて言われちゃって。嵐とファンにとって国立は特別な場所で、でも私はその場にいた事は1度もなくて。ハワイも都合が付かなくて。嵐の野外コンサートに、やっと参加出来るんだなあって感慨深くなっちゃった。

開演。ワイルドアットハート。何も知らないわたしは完全に嵐を見上げてるつもりで感動してたよ、そしたら飛び降りたの。え?? 次の瞬間には目の前に潤くんがいました。え????? バクステに近いお席でした。あの状況理解するのに2秒はかかったと思う。2秒後には泣いてたけど。この日は3Dフライングが飛ばなくてWS観てた私は肩透かしくらった訳だけど。機械故障だったらしいっていうのは後からTwitterで知りました。風つよいからだと勝手に思ってた。ディズニーのショーパレでよくある雨降ってないけど風があるから中止ってやつ。風キャンとかミッキーかよ!いや松本潤ってミッキーよりレアじゃない?しかもエンターテイナーとしても負けてなくない?とかすごくくだらない事考えてた。

あと1日目の記憶っていったらソロぐらいしかちゃんとした記憶ない。Twitterに上がるレポで草生えてたりしてたからどんなもんかと思ってたけど、めっちゃ松本潤。ちょう松本潤。(松本潤はいつから形容詞になったんだ) 突然見上げる高さに現れて、こっちに飛んでくるの。近付いてくるんじゃなくて、迫ってくるっていうか、そんな感じ。スタンドにいたわたしの視界を彼は目線の高さで水平移動していきました。ステージの構造上有り得ませんけどね?おかしいな?? 最前列のお客さんの手が届きそうで絶対に届かない位置で笑う彼はどう考えても幻なんじゃないかなって思った。もしあの伸ばした手が届いてたらキラキラの粉を残して消えちゃってたんじゃないかな、なんて。ここまで長々と書いてますが実際は1曲丸々完全に思考停止してて、曲終わってから反芻して涙が出てきてぼろぼろ泣いて、櫻井さんのソロの記憶がありません。やっぱり彼には適わない。知ってたけど!

あと何だろうな!色々思ったことはあるけど22日の公演について特筆したいことがパッと思い浮かばない。ソロのこと喋ったらエンジン切れた。2日連続でコンサートっていうのも初体験だったので、最後に潤くんにばいばい!って言われた時にばいばい潤くんまた明日!!って思いました。なんだそれ。

スタンド席だったからか終演後帰りのシャトルバスには並んだけどすぐ乗れて、22時にはホテル着。これはわたしの中であるあるなんだけどコンサートの日は長時間ごはん食べなくても家に帰るまでお腹空かない。のでホテル着いた瞬間にお腹がすく。土地勘ないけどとりあえず外に出てみて、良さげなバルがあったので1人飲み。() チキンもソーセージも美味しくてメイソンジャーでフルーツが入ったカクテルを出してくれて我ながら嗅覚素晴らしいと思った。1人でカウンターにお邪魔したのでお店の人と隣のご夫婦とお話した。というかオタトークを聞いてもらった。嵐?って訊かれて、そうです〜1人で東京から〜なんて。めっちゃびっくりしてたけどまあそうだよね!ハタチで1人で嵐の為に仙台まで乗り込むなんて正気じゃないぜ!! 嵐のおかげでシルバーウィークの売り上げが凄いって言ってたよ。

楽しいお酒飲んでほろ酔いでこのままホテルに帰るのもなあ〜なんて思いながら思い出した様にセブンに寄ってみた。23時40分。入り口近くにおばちゃんが群がってる。もしかしてと思ったらやっぱりそうでした。BLASTステッカー付きのお菓子、っていうかお菓子付きのステッカー? 店員さんの話によると、24時に入荷する分を狙って相当前から列が出来てたそうです。私が行った時はもう嵐が去った後(うまい)だったみたいで、空の箱が床にいっぱいありました。とりあえずその場にあったメッツ2種類とデザートだけゲット。ステッカーはお店の方で貼付けるらしいんだけどそんな暇もなくお客さんが来てたからと、台紙のまま頂きました。店長さんと夜勤のお兄ちゃんお疲れさまです。ありがとう。あとはホテルの部屋でちょっとだけ飲んで寝た。

 

 

 

【2日目】

ほんとは朝から仙台城跡とか行きたかったけどそこまで早起き出来なかったので断念。ていうかコンサートの日は顔面工事と頭の造形に時間がかかるって忘れてた。連泊だったのでシャトルバスの時間までホテルにいることも出来たけど、せっかくなので仙台市街をふらふらしてみました。一応ガイドブック持ってたけどあんまり地図みないで適当に歩く。公園みたいなところに行き止まって、お茶屋さんを見つけたので休憩。席についてからガイドブックみたらしっかり載ってました。源吾茶屋さん。勘で辿り着いたわたし天才かと思った(楽しい)。ずんだ餅美味しかった!仙台名物1発目! 食べてお店出て地図みたら思ったより仙台駅から離れてて(どおりでおたくいないと思ったよ)、ちょっと焦る。シャトルバス間に合ってよかった。

この日はアリーナ席。たぶんわたし史上いちばんの良席だったと思う。嵐を体感した。五感で感じた。えむすて中継も楽しかったよ!中継が繋がる前にコメントの練習しようよって事でじゃんけんで負けた相葉さんがタモさんになってコントしてた(違)んだけど、後で中継つながってタモさんが宮城はどうですかー?って言った時にみんながふふって笑ったのはさっき相葉タモリが全くおんなじこと言ってたからなんだよ!っていうのを録画観る度に思い出して宮城楽しかったなああああってなってる。説明が長い。覚えてるのはわたしの目の前で踊ってた雀踊りの大学生の子の笑顔がすっごいきらきらしてた事。潤くん反対側だし大野さん向こう行っちゃったしでずっと見ちゃった。目が合った(気がした)。

終演後のシャトルバス列つらかった...。アリーナに入るって事で覚悟はしてたけどつらかった!最後の方はたぶん道路の関係で10台ローテーションも崩れちゃっててボランティアのひとがお待たせしてすみませんってずっと言ってた。いやいやこっちこそシルバーウィーク最終日の夜にこんな山奥で働かせてすみませんだよ。本当にありがとうございました。バス降りたのが22時半ぐらい。仙台駅でお友達に会って、ホテルでコンビニごはんして寝た。前の日は何ともなかったのにすごく足がだるくなって、アドレナリン切れたのを実感しました。

 

 

 

【3日目】

後から知った話だけどこの日もう潤くんは東京でオフしてたらしいじゃないか。自担はもういないというのにわたしは仙台の亡霊してました。ていうかオフでよかった...

もう普通の平日だしおたくはみんな帰ってるだろうから(実際わたしの周りにお友達は帰ってた)ゆっくり観光しよう〜なんて思ってた。考えることはみんな同じだった。仙台駅から観光バスに乗ろうものなら超満員。通勤ラッシュの東京メトロかよ。なんとか仙台城跡に着いたけど伊達政宗像の前には行列。何故かみんな同じポーズで写真撮ってるし。櫻葉ポーズだったのね(ちゃんと会報読んでなかった)。わたしは戦国時代とかお城とか詳しくはないけど割とすきなので資料館とか楽しかったです。伊達政宗だよ?独眼竜だよ?松田龍平だよ?みたいな。いつかの大河ドラマです。予定では観光バスで移動するつもりだったんだけどもう乗りたくなかったので市バス移動に切り替え。山道にポツンと立ってるバス停で、時間になっても来ないバスをちょっと不安になりながら待つ。普段GPS検索であと何分でバスが来るかすぐわかる生活してると余裕なくてなんかダメだなって思いました。市バスめっちゃ空いてた。料金の払い方わからなくて危うく無賃乗車するとこだったけど。悪気はなかったんだよ。本当は瑞鳳殿も行きたかったけど櫻葉スポット()らしいので断念して仙台駅に戻る。1時間に2本しかない電車に乗って松島に行きました。40分も同じ電車に乗ることって東京じゃなかなかないよなあって思いながら松島海岸駅着。おたくばっかりやないか!!ここも櫻葉スポットでした悲しみ。利久の牛タン美味しかったから許す。日本三景の1つの松島、晴れてたらなあああ。五大堂に行って瑞巌寺に行って。瑞巌寺の企画展で黄金の屏風たくさん見られて高まる。詳しいことはよくわからないけどキンキラキンがすき。頭悪そうでしょ。参道が工事中だったから、完成したころにまた旅行したいなって思いました。円通院も駆け足で見学。彼岸花がたくさん咲いてて綺麗だった。びっくりしたのは瑞巌寺も円通院も拝観料がSuicaで支払えたこと。自販機は非対応のしかなかったけど。松島のお土産屋さんとかの入り口には胸の高さ位に線が引いてあるところがいくつかあって。津波がここまで来たって標で。瑞巌寺の工事もだけど、あの地震は本当にあったんだなって、頭ではわかってたつもりだったけど初めて自分の目で見て体感したっていうか、遅すぎる気がするけど来てよかったって思いました。この後また仙石線にのって仙台に戻って、お土産を買って新幹線に乗って東京に帰りました。ずんだシェイクも最後に飲んだよ!東京でも飲めるってなんだそれ!今度行こう!!

萩の月は意外と重いので買い過ぎ注意。(次回への反省)

 

 

 

 

以下コンサート懐古。

 

 

今回は復興応援っていう大きな目的?テーマ?があったから全部矢印がそこに向いてる感じがしてとてもよかったなあって思う。支援じゃなくて応援。支えるんじゃなくて、頑張ってるひとたちの追い風になろうっていう気持ち。外の屋台だったり、高校生との合唱だったり雀躍りだったり、宮城大変だったね頑張ろうね!じゃなくて宮城にはこんなのもこんなのもあるよ!元気だよ!っていうわたしたちお客さんに対するアピールが嬉しかった。

セトリも演出も見たいものが詰まってた。潤くんが見せてくれたのはわたしが見たいものだった。これはわたしが念願の初野外だったことが大きいと思うけど。冷たい風が吹く開演前の雰囲気も、明るい時間に始まって日が沈んでいく光景も、いつもより近く大きくみえたお月様も、今年最初で最後の花火も絶対忘れない。途中で何回も空見上げた。Zero-Gは私の位置からだと、水と炎の向こうで踊る嵐のその向こうは真っ暗だったの。暗闇のなかには嵐しかいない世界は本当にかっこ良かった。

かーにばるないとはいつから踊らない曲になったんだろう。踊るけど。踊ろうよ。←

最後の挨拶でここにくるのが遅くなってしまった、こんなに時間がかかってしまったけどって話してたけど。ここに至るまでにどれだけの想いがあったんだろう。そんなのわたしみたいな一ファンが慮ることなんて絶対にできないことだけど、オーラスのアンコールの潤くんのぐしゃぐしゃな笑顔がすべてだったと思う。もう声が出ないって言った。泣き笑いみたいなぐしゃぐしゃな顔でそう言ってた。あの時わたしが抱いた気持ちにぴったりな日本語が見つからないのがくやしい。モンペだと言われればそれまでだけどもういいよありがとうって思った。客電が点いても嵐コールは続いてたけど、なんかダブルアンコールはない気がしたんだよなあ。

彼らが特別な想いをもって提供してくれた空間にいれて本当によかった。直前までほんとに色々大変だったけど、行ってよかったよ。大袈裟だけどコンサートがなかったら一生行かなかった場所かもしれないもん。バスの運転手さんにも休日返上で働いてくれたボランティアスタッフの方々にもセブンの店員さんにも感謝しかないよ。

 

 

 

 

 

 

ここまでで宮城引きずるのは一旦おしまいにしようと思う。

次はツアーだよ!!宮城でも打ち合わせしてたjaponismだよ!!

 

 

......もう飛ばないよね??